うーん、いびられながら働くコゼットを見てると、やっぱりセーラが思い出される。おかみさんの怒鳴り声なんかモーリーによく似てる感じ。あと、エポニーヌのいじめも、ラヴィニアのそれによく似てる。でも、今のところこの作品から『セーラ』ほどには悲壮感を覚えない。違いはなんだろう。
2話を話を観た限りでは、コゼットがいじめっ子にちょっと口答えしてる点が大きいと思った。
バケツをわざと倒したエポニーヌに、コゼットは「わざとやったくせに」とつぶやいている。セーラなら、抗議の目で見つめるだけだろう。いじめられっ子の口答えは、見ている者をちょっと安心させる。
あとは、予告で聞かれる漫才みたいなやりとりの存在も大きいかも。
あれには、視聴者の怒りをやわらげる効果があると思う。ただ、同時に作品が持つ上品な香りを削いでしまう危険性もある。僕はいやじゃないけど。
不思議なことに、2話目にしてこの「萌え絵」にも慣れてきた。もう少し目は小さいほうがいいとは思うけど。
テーマ : ヲタクのメモ - ジャンル : 日記
コメントの投稿